おそらく最も被害の軽かった帰宅難民もどきの顛末記。

※今回の日記はできればGoogle Mapで国道6号線の地図を見ながら読んでいただければ。


金曜日:ちょうどその時刻。

わしはその日に退職する派遣社員の方(Aさんとする)から、お餞別のお菓子をいただいてた時でした。
「地震発生、震度3 地震発生、震度3 あと○○秒」
と館内放送が。
(うちの職場は地震速報が館内放送で流れる)
あーまた地震かー、とゆるく構えてたら、カウントダウンに従ってどんどん大きくなる横揺れ。

Aさん「ちょ、これ震度3じゃきかなくない?!」
Bさん「どうしようこれ外に逃げたほうがいいの?!」
わし「とりあえずドアだけ閉まらないようにしてー!逃げられなくなるからー!」


…まずお前が落ち着け。


とりあえず扉が閉まらないようにドアを押さえながら入り口にしがみつくこと数十秒。
やっと揺れが落ち着いて自分の席を振り返ったら、机の上の物殆ど落ちてて(モニター3台中2台&DellのばかでかいXeonマシン←メインマシンだよ(泣))しかもその上に天井パネルが落ちてきていた(汗)。自分の席にいなくてよかったなー。

揺れが納まったところで、人数確認のために駐車場に避難したのですが、わしにお菓子をくれたAさんは何故か配ってたお菓子を握り締めてて「携帯置いてきちゃった…」と半べそ。
別の職員さんは何故かダブルクリップを片手に大量に握り締めてて、「何でそんなの持ってきてるのw」と一同爆笑。


まあこの時はまだ笑ってられたんだよな、事態把握してなかったから。


とりあえず電気止まってる&余震続いてて建物の中にいるのは危険、ということで、その日は帰宅することに。荷物の回収だけするのに一度建物の中に戻ったのですが、その時点で女子更衣室のドアが開かなくなってて、男性の職員さんが脚立でパーテーションを乗り越えて荷物を運び出してた。
わずかな距離走っただけでも道路沿いのあちこちでブロック塀が壊れてたりショールームの大きなガラスがめちゃめちゃに割れてたりアスファルトがひび割れてたり、それを見て初めて地震の規模を思い知る。
しかし、わかっていたけど道路がそれはもう大渋滞。那珂市の職場を出て3時間たっても工業団地入り口を越えられない。埒があかないのでいっそ職場に戻ろうかとおもったけどそっちも大渋滞でにっちもさっちも身動きがとれず。しかもガソリンがだんだん尽きてくる。停電で道路沿いのお店も住宅も全部電気が消えてるので現在位置も把握しにくくて。
日付が変わる頃になってやっとのろのろとだけど列が動き出したので、渋滞の列に乗る。ラジオを聞いていたら水府橋が通行可能とのことだったので、ひたちなか市抜けたところで6号線を降りて迂回。その先の浜田十字路は通行止めなのに突撃してる車両多数。みんなラジオ聞こうよ、と思ったけど、土地勘ない人とかだと地名だけ言われても判断が難しいかもな。ああいう状況は。うわ、水戸駅前交差点のど真ん中が陥没してる(汗)。
そこからは早くて、午前3時ごろ何とか自宅に到着。寒いのと疲れてたのとで会社の制服のまま就寝。


翌日以降は家族への連絡と、ライフラインの確保に奔走してました。特にガソリンが手に入らなくて苦労しましたわー。「ガソリン1滴は血の一滴」を実感した気分でした。日曜の夜まで停電してたので、その間自宅では携帯の電波も入らなくて(多分アンテナが停電で死んでたんだろうと推測)コンビニまで車飛ばして電話かけに行ってましたし。
まあライフラインの被害といえば停電だけだったので、日曜の夜に復旧して以降は普通に生活できています。ガソリンがままならないのと職場が復旧してないので自宅待機中ですが、正直被害のうちに入らないですわ、この程度。


亡くなられた方お悔やみ申し上げるともに、被災地と被災者の方々の1日も早い復興をお祈り申し上げます。
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